ひとりごはん
「孤食」という言葉の使い方が浸透して久しいですが、個人的にはひとりでご飯を食べることは悪いことだと思いません。
まあ仲良くみんなでワイワイ食べたり飲んだりことももちろん楽しいけれど、ひとりでまったり楽しむこともアリだと思います。
中学生や高校生の頃は「一人でごはんを食べるのはなんか変」「友達がいない変人」というイメージが強く、まわりに合わせていた体があったのですが、大人になるとそれも「余裕」のひとつとしてとらえられるのではないかと思うようになりました。
なんでも周りに合わせる必要はなく、その時々に合わせて誰かと食べたり、大勢で飲んだり、一人で食事したり、自由にできるといいですよね。
私自身一人暮らしなので、週末に飲んだり、友達とたまに食事をする以外は、たいてい一人で食事をとっています。
親元から離れてすぐは一人分の食事を用意することも、一人で食べることもなかなか慣れなかったですが、今では割と平気になりつつあります。
料理を作ることもそれなりに楽しいです。
ひとりで食べると面倒くさくなりがちなので簡単なものやオムライスやかつ丼などの一品料理に偏ってしまうことが難点ではありますが。
たまに実家へ帰ってご飯を食べると、母親が毎日あれだけの数をおかずとして出すのは、ふつうのことではなく大変なことだったんだなあと今更ながら実感しています。
ご飯の味すらも違うように感じられます。
それを毎日三食とも欠かさず家族に出していくことを10年後の私もできるのか少し不安になりましたが(笑)
お金の価値やありがたみ、怖さがわかってきた今
「宝くじで1億円当たったらどうする?」というお決まりの空想話で思ったこと
消費税が上がり、これまで以上にお金の大事さ、人生のせち辛さをひしひしと感じる昨今。
誰でも一度は経験があると思いますが、この間同僚と「宝くじで1億円当たったらどうする?」という、ただただ虚しいだけの空想話で盛り上がりました。
今まで、何度したかわからないこの話題。
いつしても、無駄に盛り上がるから不思議です。
同僚は、もし1億円転がり込んだら、仕事を辞めて世界一周ひとり旅に出ると言ってました。
行きたい国が果てしなくあるようで、目をキラキラさせて語ってました。
私が「私だったら、まず半分は親にあげる」と言うと、同僚がビックリしてました。
「え!半分って、5000万円だよ!?手元に5000万円しか残らないよ、いいの!?」と、興奮する同僚。
いや・・・5000万もあれば十分じゃないか・・・と笑ってしまいました。
この話題、ちょいちょい我に返って虚しくなるんですが、続けます。
残りの5000万円は何に使おう、と考えたのですが、何にも思いつきませんでした。
私がもっと若ければ、いろいろと際限なく出てきたと思います。
同僚のように、自分のやりたい事を何も考えずに挙げていたことでしょう。
でも、歳を取るごとに、お金の価値やありがたみ、怖さがわかってきたんだと思うんです。
そんなこと簡単に言えない、と思ってしまう自分がいました。
ある一定の額を超えると、現実味が湧かないっていうのもあります。
でも、ただただ親には何かしてあげたい、それだけは一番最初に頭に浮かびます。
物欲や煩悩が自然となくなっていくのが、歳を取るということなのかもしれないな、としみじみ考えてしまいました。