中学時代はスポーツで絆を深めた

中学校時代、私は吹奏楽部に入部した。
自分で弾きながら、クラシックに酔いしれていた。
部活では楽器に触る以前に体力作りのメニューがあった。

肺活量を上げるため、運動部並みのジョギングと筋トレをする毎日。
このおかげか、中学校の体育の授業で毎年必ずある持久走のタイムは結構早いほうだった。

昔から運動音痴だったため、短距離走は遅かったが、長距離は陸上部に着いていけるほどだった。
自分の学校は都会にあるため、学校の周りを走ることはできない。

だから、持久走といってもずっと風景の変わらないグラウンドをひたすら回るだけ。
色々と考え事や妄想をしている内に走り終えていたため、苦しいと思わなかった。

これまでで、運動の中で得意なジャンルを見つけることができて嬉しかった。
運動で表彰されることはなかったが、持久走大会で入賞に近づけたときは自分でもやればできるんだと思った。

それから10年たった今でもランニングは好きだ。
悩み事を頭の中で考えていると、いつのまにやら家に着いて、悩み事も消し飛ぶ。
何か頭がモヤモヤしたら走ることにしている。

気分転換のやり方は、自分にとってはそれか最高の方法だ。
汗をかけば全てをリセット出来る。
仕事にも悪い影響を残さないので、一生続けていくことになるだろう。

高校野球への思い

夏の高校野球の組み合わせ発表ということで、朝からそわそわしていた私は、別に関係者という訳ではない。
関係者という訳ではないのだが、とにかく毎年春と夏のこの2回の大会は、他の何をおいても注目したい、スポーツの二大イベントなのである。

自分が中学生のころからずっと好きなので、私と学生時代をともに過ごした友人に高校野球の話をすると、「まだ好きなの?」と半ば呆れ顔で言われるのだが、こんなに理不尽なことはない。
好きなものを好きでなにが悪いのか。
プロ野球だって、好きな人はずっと好きではないか。
そんなこと言う人は、高校野球好きを少年好きと勘違いしているやからなのだ。
まったく失礼千万だ。
私はただ単に高校生の野球が好きなのだ、言っておくが。
あの、プロに行く前の荒削りの、それなのにきちんと個々の技量が光るスポーツ。
そして、高校生というあやうい季節が生み出す、実力を超えることもあるチーム力。
そういう、固まりきっていない力の生み出すドラマが、高校野球大会にはあるのである。
まったく、しっかりと味わって欲しいものだ、と憤慨してしまう。
今年は、シード校がことごとく決勝前に敗れてしまったから、とても波乱であった。
毎年毎年何が起こるかわからないところが最大の魅力なのである。
いずれは、本場甲子園に行って観戦してみたい。
別にどこの学校でもよいのだ(本当は応援しているところがあるけれど)。
頑張っている球児たちと、その応援団と、チアガールと、垂れ幕やらうちわやら横断幕やらを持っている父兄達、そんなのを眺めつつ、私も便乗して青春したいのである。

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