ネットの世界が全てではない
フェイスブックの創設者が時の人として国際誌に選ばれたのは割と記憶に新しいのではないであろうか。
どこにでもいそうな大学生が、世界中の人々が共有するソーシャル・ネットワーキング・サービスにより世界を動かした。
このフェイスブックとは、自分の写真を共有したり意見や状況を書き込んだり、お気に入りのリンクなんてものも紹介できる中々楽しいサービスである。
セキュリティの問題で日本では諸外国に比べ浸透してないようだが、フェイスブックによりある国は政権に反対する革命が、ある国では大規模デモがおきたのだから本当にただ者ではないシステムである。
私自身、遠距離にある友人に関しても状況を知ることができるし、友人の誕生日には表示がでるようになっているのでそんな大切な日を見過ごさないためにもかかせない存在になっているが、他の利用者が言っているように長く利用していると「フェイスブック中毒」にかかりやすい。
何事も、そこだけが世界の全てであるかのような思い込みが、こうした中毒を生む。
また、自分以外の人の動向が必要以上に気になるのも、ソーシャルメディア特有のものなのだろう。
実生活では、他人の動向などには無関心な人ほど、インターネット上では、その傾向が強いようだ。
逆に、実生活で充実していない分、オンラインで感情が抑えきれないのかもしれない。
リア充をめざそうじゃないか。
初めてのオフ会
もう何年にもなりますが、その昔初めてオフ会に参加したときの話です。
当時とある有名オンラインゲームをプレイしていた私は、同じくそのゲームをプレイしていた友人たちとオフ会を開くこととなりました。
友人と言っても直接に会ったことは無く、期待と緊張が合わさったような妙な気持ちだったことを今でも覚えています。
結論から言ってしまうとこのオフ会はどちらかというと失敗だったように思えました。
普段ゲーム画面やチャットを通じてしか会話したことがなく、集まったメンバーおのおのが戸惑っているように思えたのです。
もちろん私自身を含めてのことで、少なからず後悔を覚えていました。
とはいえ決して楽しまなかったわけでもありません、カラオケや居酒屋などいわば定番コースで盛り上がることは盛り上がりました。
ただ、途中インターネットカフェによってわざわざチャットで会話するという意味のないことをしてしまったことを考えるとそう思ってしまうことも無理もないことでしょう。
まあその頃はどうにか二十歳を超えたような子供でしかなく、精神的に未成熟だったことも少なからぬ要因ではあったことと思います。
あれから数年が経ち、私やオフ会の面子も既にネットゲームを止め、交流の場はソーシャルメディアに場所を移しています。
ソーシャルメディアを通してあるいは以前と比べても交流が深まっているような気がしています。
しかし出来ることならば少々苦い思い出である初めてのオフ会のメンバーともう一度オフ会を開いてみたいと思っているのです。